2009
08
14

日航123便墜落事故

JAL123TOP.jpg

去る8月12日は、乗員乗客520名もの死者を出した国内最悪の航空事故
「日航123便の墜落事故」から24年目の日。
身近な若者がこの事故を映画「クライマーズ・ハイ」で初めて知ったと聞き、急にWeb情報をまとめる気になりました。

事故は1985年(昭和60年)8月12日 月曜日に発生。

日航ジャンボ機墜落事故




現在最終確認されている事故原因
運輸省航空事故調査委員会(以下「事故調」)の報告書によれば
事故機は7年前に尾部を滑走路にぶつける「しりもち事故」を起こし、ボーイング社によって「圧力隔壁」を含む機体後端下部を修理。その際の修理工程を誤り、通常はありえない短時間で「圧力隔壁」が金属疲労を起こして破損。
P_part.jpg

圧力隔壁:1平方/mあたり6t、全体で100tもの機内圧(高空でキャビン内を約1気圧に保つため与圧する)を支える直径4m55cmの機内仕切り板。
P_partA.jpg

本来一枚板であるべき「継ぎ板」が繋がっていなかったとの発表。
Badrepea.jpg


「圧力隔壁」の破損は機内与圧の急激な噴流により垂直尾翼と操縦系統を吹き飛ばし、JAL123便は操縦不能から墜落に至ったとされる。
JAL123Chichibu.jpg
東京 奥多摩付近にて、墜落7分前の123便を捉えた写真

JAL123Lad.jpg
当時のカールツァイス社による、同上画像解析→垂直尾翼の約6割と尾部を消失している。

気圧(高度)警告の作動データから、隔壁には瞬間的に1.4平方/mの穴が開き、機内の気圧が垂直尾翼と機体後端部に集中、それらを瞬時に破壊したと推測されている。
(他機種の事故から類推されるその圧力は、1平方mあたり5t前後。当時のボーイング社提示データによれば、尾翼は2.5t/平方mの内部圧力で破壊。)


Hydro.jpg
尾部にある全4系統の油圧配管の破断から、わずか2分足らずで油圧による全操縦系統がダウン。
HydroLine.jpg
4基のエンジンから、それぞれ動作圧力を得て万が一に備えたはずの操縦系統図。

747Hyd.jpg
同系機の油圧表示盤 「ハイドロプレッシャー・オールロス」はこの表示から。

機体は横方向への安定性を失い、12秒周期で最大60°にも及ぶ「ダッチロール」状態に陥った。
Roll60l.jpg
小型飛行機で同航路での最大左右ロールを再現した画像


飛行航跡と通信記録によって構成したswfファイル
「事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図」(別窓で開き、すぐ開始されます)
http://jal123.com/JAL123.swf



なお当時のパイロットなど一部関係者らは、事故調が結論付けた「圧力隔壁」破壊による事故原因論に対し、このレコーダー音声などから、やや疑問を呈していたようです。

爆発音から1.5秒後に気圧(高度)警告が作動、その後一旦沈黙し27秒後に再度警告音が鳴る
(「爆発音」後、コクピット内音声に常に混じる警告音がそれ。隔壁に穴が開く→キャビン内の急減圧が起こるような状況なら、ほぼ瞬時に作動した同警告音が、「一旦停止」した理由を説明できない)
機内には瞬間的な減圧によると思われる霧(乗客らは「煙」と捉える)が発生しているが、「隔壁に穴が開いた」ような急激な減圧は生じていない

→コクピット内では瞬時に「(ボディ)ギア」=降着脚・車輪を確認

同ボディギアは、その収納位置から機内の与圧制御に関与するそうです。 判明しない「爆発音」に対する影響や順はともかく、ボディギア動作はコックピット計器に(飛行中なら)異常を示し、同時に機内与圧は自動的に減圧されるのだとか。
Bodygear.jpg
同機着陸脚などの動作表示板

結果として「垂直尾翼を含めた尾部の破壊的消失」が墜落に至った主要因とは思われますが、そこに至る「原因」の特定が不確実とする考え方です。




捜索までの時系列情報

18:12 定刻の12分遅れで、JAL123便が羽田を離陸。

18:24 JAL123便に相模湾上空で異常発生。

18:28 航空自衛隊第44警戒群レーダーサイトが123便の緊急事態を確認、埼玉県入間市の中部航空方面隊に報告。

18:56 123便の機影がレーダーから消失。

19:01 中部航空警戒管制団の提案を受け、百里基地からスクランブル待機中のF-4EJ 2機が捜索へ発進。(注)
第44警戒隊のレーダーは消失地点を「横田タカン(TACAN=方位と距離を機上の計器に表示する航法援助施設)302°36マイル」と確認。同座標は地図の「御巣鷹山の北北西約2.4km地点」に相当。

19:21 自衛隊のF-4EJ機は現場と思われる火災を発見。 「横田TACAN 300°32マイル」と報告。

19:26 NHKが最初の事故速報

19:45 運輸省航空局長室にJAL123便対策本部、警察庁に日航機墜落事故総合対策室が設置。

19:54 百里救難隊の救難ヘリ(V107)1機が基地を発進。 同58分MU-2救難機も緊急出動。(注)

20:30 朝日新聞社ヘリ「ちよどり」が米軍の位置情報(下記)を基に羽田を離陸。

20:33 航空機救難調整本部から中部航空方面隊司令部に災害派遣が要請。
(注)=本来、自衛隊は正式な「出動要請」がない限り出動できない。 航空自衛隊は要請を促しつつ、自主的に可能な範囲での行動を取ったもの。 なおこの時点での陸上自衛隊への出動要請は、まだない。

20:42 V-107救難ヘリが現場上空に到着。「150~200mにわたって山腹炎上、横田TACAN 299°35.5マイル」と報告。

21:09 朝日新聞社ヘリが現場上空に到着。 炎上中の事故機を撮影後「羽田空港 304° 60マイル」と測定。

21:30 陸上自衛隊にも出動要請が出る。第12師団(当時)隷下の12偵察隊、13連隊情報小隊が出動。

21:50 NHKが目撃証言として「長野県 北相木村の御座(おぐら)山に墜落」と報道。

21:59 自衛隊より運輸省に「墜落現場は北緯36°02′、東経138°41′で 御座山の北斜面 長野県側」と通達。
現地は尾根が重なる地形であり、座標からはコンパスもない深夜の地上において墜落現場を特定できない。 伝聞間違いでもあったのか?地名を「長野県 御座山 北斜面」と確定する公式情報・報道が錯綜し、深夜~早朝の捜索現場は混乱を極める。 一方で長野・埼玉両県警は目撃情報とパトカーの出動(19時~20時50分)などから墜落地点は群馬側と判断していた。

22:50 朝日新聞社ヘリが自衛隊からの位置情報などを再確認するために発進、通達地点に墜落の形跡がない・前回確認した事故現場に誤りがないことを再確認。

23:30 長野県警は「現場は群馬県内、と判断している」との見解を公式発表。

翌01時頃、入間基地を発進した航空自衛隊V-107ヘリが現場上空に到着「入間TACAN 291° 36.3マイル」という極めて正確な位置情報を報告。

翌04:40頃~05:40 日の出と共に自衛隊・県警のヘリが墜落現場を確認。
●上部の指示混乱にしびれを切らした地元消防団員の一部は、日の出を待たず墜落現場に向かう。後にこの消防団員らが生存者を発見したとも伝えられる。

当時の日航総括レポート
「陸上自衛隊第12師団の発表によれば御座山東7㎞、南4㎞の地点に白い尾翼発見。さらに500m離れたところに黒こげ物体発見。長野県警の発表によれば御巣鷹山南南東2㎞、県境の東700mのところに墜落物体発見。」
自衛隊情報は、未だ現地を「御座山」としていた模様。
事故調の資料によれば、墜落地点は「北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒」


事故調の最終報告書に一切記述されていない、当夜の米軍による即応記録の謎

事故発生から10年後、95年8月27日付の米軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」に記載された、元米軍大尉(事故当時は中尉)アントヌッチ(Michael Antonucci)氏の証言。 氏は最初に現場上空に到着したC-130機に搭乗していたとのこと。
JAL123_SS.jpg


16:45 緊急無線を傍受していた在日米軍の横田基地が123便に支援を申し出る。

レーダーからの機影消失後、横田基地では空域を飛行中の米軍所属C-130輸送機に事故機の追跡(墜落現場の特定)を指示、同機は墜落現場到着の第1号機となる。

19:15 C-130機の機関士が墜落機の煙を発見。

19:19 「1919 Large fire from Yokota, 305, 34.」(19:19 横田TACAN 305°34マイル地点で大きな火災)と報告。この情報は横田基地経由で自衛隊側にも伝えられた。

横田基地から同機に「海兵隊救難ヘリが出発準備中。 1時間で現地到着予定」との情報。
20:30 Cー130は上空を旋回して厚木からの米軍救難ヘリを現地へ誘導。

20:50 救難ヘリの現着をC-130の乗員が確認。ヘリは救護兵員の降下準備を開始。

21:05 救難ヘリはC-130に「煙と炎が非常に濃い。少し離れた ところへ降下する」と連絡。 しかし横田基地司令部より「厚木の救難ヘリもC-130も直ちに基地へ帰還するよう」命令。
(理由は日本側がそちらに向かっているとも、日本側が断ったとも)


21:20 C-130機が「日本側航空機の現着を確認」と連絡。

C-130の乗員は横田に到着後、第816戦術飛行隊の副司令JOEL SILLS大佐より、JAL123便関係のことについて一切を口止めされたと伝えられている。


なお、ボイスレコーダー音声など情報の多くは正式公開されたものではなく、事故から丸15年目となる2000年に廃棄処分されてしまった1トン余りの資料(保存義務は事故後10年)の中の一部が、たまたまマスコミの手に渡ったものだとか。

生存者の複数証言によれば、墜落の直後には「さらに複数の生存者」が居た模様

Asahi_Paper.jpg

事故調の記録にもあるはずですが、それらは一切が未公表のまま。

日航機墜落 田代アナにもらい泣き
(ごく短くですが、事故調の「生存者証言」記録?が出てきます)

尾根に激突した衝撃から、機体後部はちぎれて尾根を飛び越えていますが、奇跡的に樹木の上を滑るようにスゲノ沢まで落ちたことで、衝撃をいくぶん吸収できた(それでも人体が受けた衝撃は「数十G」とか)ことが生存の理由と考えられています。
(生存者全員が「スゲノ沢」での機体後部から救出)


追補
伝聞によるマンガ・非単行本ながら、当時現場に入った陸上自衛隊の様子を垣間見る作品。
「御巣鷹山の暑い夏」
http://www.flickr.com/photos/17417525@N00/sets/72157594248184788/


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