2009
10
04

弾よりも速く! 超音速飛行へ挑戦した イェーガーとベル "X-1"

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記録達成機「ベルX-1」1号機とイェーガー。 機首に描かれているのは、イェーガーが同機につけた愛称 「Glamorous Glennis」(奥様のこと:「魅力的なグレニス」の意)

今から60年以上前の1940年代末期。
先の大戦を経て航空機の速度は飛躍的に高まりましたが、それが「ある一定の速度」に達しようとする時、パイロット達は機の操縦不能や空中分解など、恐ろしい困難に見舞われました。
いわゆる「音速の壁」です。
現在の流体力学では、それを当然の常識として受け入れられますが、当時は未知だったその恐るべき世界へ挑んだ「正しい資質を持つ=ライトスタッフ」が米国に存在しました。
第二次大戦中、旧ドイツ軍には既に時速800kmを越えるジェット・ロケット戦闘機や、超音速で飛翔する弾道ミサイルが存在しましたが、有人で制御下において確実に音速(1200 km/h前後、高度・気温による)を超える航空機は、未だ世界中のどこにも登場していません。
高速の戦闘機などが降下によってその付近の速度を記録することはあっても、結果として機体は正常な操縦性を失い、時に空中分解を引き起こす「越えてはならない速度」となっていました。

例えば、命中精度を上げるため目標に向かって急降下する「急降下爆撃機」などの機種では、過度に速度が上がらないよう「エアブレーキ」を展開しながら降下するものになっています。
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当時の米海軍 急降下爆撃機「SB2C"ヘルダイバー"」の模型 赤い部分が「エアブレーキ」



大戦中の1944年3月、米陸軍航空隊(1947年には「米空軍」として陸軍から独立)の資材司令部技術部とNACA(NASAの前身)は、直ちに超音速機の開発を協力で行うことを決定。
1945年には実験機の製造を「ベル・エアクラフト(Bell Aircraft)」に、主テストパイロットには「チャールズ・エルウッド・"チャック"・イェーガー(Charles Elwood "Chuck" Yeager)」陸軍大尉を指名することになります。
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当時の記録映像より、ベルXS-1(X-1)のコクピットに収まるイェーガー

GLAMOROUS_GLEN_?
米陸軍363FWでのイェーガー大尉搭乗機 「グラマラス・グレン III (GLAMOROUS GLEN ?)」と、その名のもとになった奥様のグレニスさん。 当時は未だ結婚しておらず、恋人としての名前を描いていました。


機体は1945年に XS-1 (eXperimental Supersonic-1) として、3機の製造契約が正式締結。
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'47年頃?のベルX-1 2号機 (NACA所属機、イェーガーは同機でもマッハを達成)


不測の現象を想定し、恐ろしく強靭な機体強度や1枚板からの削り出しによる主翼と、航空機というより「羽の生えた有人ロケット弾」という形状に。 また、極端に燃費の悪いロケットエンジンへの解決策として、改装したB29爆撃機に吊り下げて上空で発進させるという手法を採っています。
(大戦中のドイツ軍「ミステル機」や日本軍の「桜花」は既に同様のロケット弾・航空機の発進方法を採っており、当時既に実績のあるアイディアだったのでしょう)

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後年に撮影されたNACAの2号機と、空中発進母機のB-29 改装機。 なお、X-1実験機2機に対し、同B-29は1機しかなく、計画初期では1号機優先での記録挑戦となった。


なお開発当時の技術レベルでも、プロペラ機では水平飛行で音速を超える推進力を発生できない事は判っており、より強力な推進力を求め新開発のXLR11ロケットを採用しています。
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正式名称:XLR11-RM-3 1基あたりの推力は680 kgfで、XS-1(X-1)には4基を装備。 単機での推力調整機能はなく、4基のロケットをそれぞれオンかオフすることによって推力調節する仕組み。


そして1947年10月14日、イェーガーが搭乗する XS-1 は通算 50 回目の飛行にて、いともあっさりと「マッハ 1.06」を記録。 初の公式有人・水平飛行で音速を越えた航空機となりました。
ちなみに、イェーガーは音速飛行 2日前の落馬事故から肋骨を骨折した状態で飛行に臨んでおり、同エピソードは映画 「ライトスタッフ(The Right Stuff 1983年米)」 にも収録されています。
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狭いX-1操縦席に、窮屈な姿勢で収まるイェーガー。 肋骨を骨折していたら、さぞ痛かったでしょう。

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記録映像より、コクピット内を写した画像

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細密に描画された、パイロット視点での同コクピットビュー


なお、同1947年には陸軍の一部門であった「陸軍航空隊」という存在は「米空軍」として独立。 '48年には名称も「XS-1」から「X-1」と改め、高速実験機「Xプレーン」計画として継承されることになります。

彼はその後も最高速記録を塗り替え続け、1947年11月6日にはマッハ1.36、1948年3月26日にはマッハ1.45を記録。1953年12月12日には、X-1の改良型であるX-1Aでマッハ2.44を記録し、文字通り「世界最速の男(当時・有人操縦での)」であり続けました。

X-1 landing on lakebed at Edwards AFB



非常に珍しい当時の記録映像。
オレンジ色・試験飛行の機体が'46~'47年頃の陸軍航空隊所属1号機(「グラマラス・グレニス」号)、地上でのエンジン試運転を行う機体がNACA所属の2号機のようです。
Breaking the Sound Barrier - HD



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XS-1(X-1)の1号機は、現在スミソニアン協会の国立航空宇宙博物館に展示されています。


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