2009
03
20

決して破られない、五輪記録

     
54年と8ヵ月6日、5時間32分20秒3

これは終世に渡り日本のマラソン発展に尽力された、金栗 四三(かなぐり しそう)氏の持つ、オリンピック男子マラソンにおける"世界一遅い"公式記録です。

有り得ない数字ですが、といっても恥ずかしいトンデモ記録ではありません。
オリンピック委員会の粋な配慮から生まれた、とても素晴らしい記録なんです。         

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金栗四三氏が出場したのは、日本の初参加でもあった明治晩年(1912年)のストックホルム・オリンピック。
前年の国内予選においては世界記録を27分も更新しており、大きな期待を背負ったものでした。

ところが、現地は40度近い猛暑に襲われ、出場の半数が棄権するという超サバイバルレースに。
氏もまた棄権してしまいます。
しかし委員会には「棄権」の報告が伝わらず、都合「行方不明」という扱いになっていました。


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        現役時代の四三氏。 左は現役最後、パリ大会での疾走。


55年もの月日が流れた、1967年(昭和42年)3月。
氏はスウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルム大会の開催55周年を記念する式典に招待されます。 公式には走行中(「棄権」はあるが、「行方不明」はない)であった金栗を、記念式典でゴールさせることにしたものでした。
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ゴール後は「これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全競技日程を終了する」との宣言がなされ、金栗も「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と答えたそうです。


真夏の房総海岸での「耐熱練習」、心肺機能の充実をはかる「富士登山競争」、高地トレーニング。
そして孤独な長距離の練習を、チームでやろうという「箱根駅伝」の企画。
さらには、女子体育の奨励など、現在のマラソン界につながるあらゆる試みが、金栗四三氏の発案でなされています。
彼が日本における「マラソンの父」と称さる由縁です。

『54年と8ヵ月6日、5時間32分20秒3』
これは、決して破られることの無い、偉大な男の誇らしい記録なんです。


参照:熊本県教育情報システム:金栗四三展・図録
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